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【02.09.08】東海豪雨から2年 住民の追及つづく 水害の実態調べ運動

2002年9月12日 「しんぶん赤旗」

 東海豪雨(二〇〇〇年九月十一日〜十二日)から二年。治水対策や、まちづくりに問題はなかったのか。被災地住民の追及は続いています。

 八日、名古屋市天白区の野並小学校で、野並から水害をなくす会・水害訴訟団が二回目の総会を開きました。(写真)

 野並は、深いところでは三メートルもの浸水に襲われました。頼りになるはずだった新鋭ポンプ場はまともに機能せず。七百八人の住民が原告になり、市の責任を問う訴訟を昨年六月に起こしました。十日には六回目の法廷が開かれました。

 住民側の取り組みで問題点も鮮明になってきました。総会あいさつで、なくす会会長・訴訟団長の伊藤明生さん(65)は「行政は相変わらず“想定外の雨だった”の一点張りです。ため池は、緑区はすばらしいのに、天白区は何も改修していない。平成三年(一九九一年)につかり、平成十二年(二〇〇〇年)にもまたつかった。この間、何ひとつ行政は野並に向かなかった」と指摘しました。

 この地域は一九九一年九月にも水害に襲われ、となりの緑区とともに大きな被害を出しました。ところが、東海豪雨では野並だけが大被害を受けました。

 訴訟団・会事務局長の浅見幸由さん(60)は「緑区側は九一年水害以後、大規模な貯水池の整備などの対策がとられたからです。あのときの被害の実態をつかみ、教訓を生かして野並も対策をしていれば、これほどの被害は出さなかったのではないか」といいます。

    ◇

 同じ日、同市西区の小田井地域では「小田井地域から水害をなくす会」(世話人代表・井上貞夫さん)が、水害から二周年のつどいを開きました。同地域は大被害を出すもとになった新川決壊個所直下です。

 堤防決壊は何時だったのか。行政側の検討会報告では午前三時半ごろとしていますが、住民側の調査で、午前二時半前後に始まったのではという証言が集まっていることが報告されました。

 決壊個所対岸には水場川排水機場(二時三十五分に停止とされています)があり、その水流が破堤に関係したのではないかと、災害当初から疑問が出されています。

 しかし、検討会報告では排水機場からの水流が新川の水流に与えた影響はきわめて軽微としています。それだけに、住民の証言は注目されます。調査をしている木村直樹さん(51)は「やっと住民の声が集めらるようになってきました」と、粘り強い運動の重要性を語りました。


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